FIPVをさっと復習
猫に感染するコロナウイルスを病態から分類すると、無症状もしくは軽度の腸炎を起こす猫腸コロナウイルス(Feline Enteric Coronavirus: FECV)と、致死的な全身性肉芽腫性血管炎を起こす猫伝染性腹膜炎ウイルス(Feline Infectious Peritonitis Virus: FIPV)に分けられます。FECVが変異するとFIPVになることがわかっていますが、この変異を簡単には説明できません。その理由は、FIPVは遺伝子学的特性に基づき2つの型に分類されるからです。I型のFIPVはFECVが猫の腸管内で変異をしたウイルスで、II型のFIPVはFECVと犬コロナウイルス(Canine Coronavirus: CCoV)のゲノムの組換えで生じたウイルスです。さらに、I型のFIPVとCCoVの組換えによってもII型のFIPVは誕生します。つまり、II型のFIPVは2回の組換えが起こっているケースがあるのです。もしかすると、3回以上の組換えが起こっている可能性も否定できません。
I型FIPVは世界的に優勢であり、自然感染の80%以上(~95%)を占めるとされています。しかし、研究においては培養細胞に細胞傷害を起こしにくいなどの理由で扱いにくいウイルスです。一方、II型FIPVは培養細胞で容易に増殖し、わかりやすい細胞傷害を示してくれるので、II型FIPVを使った研究が進んでいます。私たちもII型FIPVに対する治療薬の研究を培養細胞を用いて実施していますが、「II型は自然感染ではまれなので、実験室での研究に過ぎないのではないか」という葛藤がいつもあります。
II型は脇役から主役へ
しかし、最近、II型FIPVの自然感染の状況に大きな変貌がありました。2023年にキプロス島でII型FIPVの大規模アウトブレイクが起こったのです。キプロス共和国の大部分を占めるキプロス島は地中海東部に位置しています(図1)。
この小さな島でFIPVのこれまでの概念を覆すような感染が発生したのです。まず、2021年に3件、2022年に4件のFIPの発生が認められました。そして、2023年には186件に増加しました。このウイルスのゲノムを解析するとII型FIPVによる流行であることがわかりました。キプロス島でアウトブレイクが起こった背景には、この島には野良猫が多いことが挙げられます。キプロスでのアウトブレイク以前は、II型FIPVは水平伝播しにくいウイルスであるという認識でした。II型FIPVの自然感染率は低かったという事実からも納得できます。しかし、キプロスで流行したII型FIPVは猫から猫への感染が起こることを示しています。つまり、II型FIPVも集団発生する感染症として認識する必要があることが示されたのです。
アウトブレイクの全貌
キプロスでのII型FIPVのアウトブレイクはどの国でも起こる可能性があります。日本も例外ではありません。また、このII型FIPVが輸入感染症として国内に侵入するかもしれません。そこで、キプロスでの発生を詳しく見ていくことにします。
上述したようにアウトブレイクは2023年に起こりました。症例の多くはウェットタイプ(約64%)とされていますが、後期にはドライタイプもみられました。また、平均発症年齢は3.9歳であり、FIPの発症としては高い年齢という印象です。病理組織学的検査では、腸・リンパ節・腎臓などから肉芽腫性炎症病変が観察され、病変部のマクロファージ内にFIPVの抗原が検出されています。また、腹水や胸水の細胞診では好中球やマクロファージが大量に存在していました。このように典型的なFIPの所見であったとされています。
PCRや次世代シーケンサーを使ったウイルスゲノムの遺伝的解析が実施され、原因ウイルスはII型FIPVであることが明らかになりました。II型FIPVのスパイク蛋白質は犬コロナウイルス(CCoV)の配列であることが特徴ですが、キプロスのII型FIPVもCCoVのNA/09株と96.5%一致しており、典型的なII型であることがわかりました。また、細かい点ですがスパイク蛋白質のN末端領域に欠損が見られました。なお、このウイルスは2023年に発生した新規株である可能性が高いと考察されています。
なぜキプロスでこの新型ウイルスが流行したのでしょうか。ウイルスの遺伝子や蛋白質に関する要因はこれからの研究で明らかになることでしょう。ここでは環境要因を考えてみます。キプロスは猫の島とも呼ばれ、推定100万頭以上の猫が生活しています。飼育猫の多くは室外でも生活し、野良猫も多いのです。猫の数はキプロスの人口とほぼ同数にあたります。キプロスは観光業が経済の大きな柱となっており、島の猫は観光客にとって大きな魅力のひとつになっています。政府は猫の避妊手術を年間10万ユーロの予算で約2000件実施していますが、急増する猫の対応には不十分です。2025年には3倍の予算に引き上げられています。このような背景から、今回のアウトブレイクは一頭の猫から爆発的に感染が拡大していったのかもしれません。また、ノミやマダニなどが機械的にウイルスを運んでいた可能性も指摘されています。ヒトの衣服などを介したウイルスの運搬もあり得るかもしれません。
コロナ薬は効いていた
2023年にアウトブレイクしたII型FIPVは、2024年と2025年には散発的な発症にとどまっています。このように感染を抑えることができた要因のひとつにはレムデシビルやモルヌピラビル(GS-441524)の投与が功を奏したことが挙げられます。論文では68例の罹患猫についての記載があります。これらの治療は68例中63例で実施され、安楽死は3例、無治療は2例でした。GS-441524が33例、モルヌピラビルが21例、レムデシビルが5例に投与されました。レムデシビルとモルヌピラビルの併用は4例でした。結果として臨床的改善は56例(90.3%)でみられました。GS-441524を投与された猫では30例、モルヌピラビルでは17例、レムデシビルでは5例が改善しました。レムデシビルとモルヌピラビルの併用では4例が改善しています。全体的にはこれらの抗コロナウイルス薬はキプロスのII型FIPVに効果がありました。キプロス共和国は欧州においてこれら3種の治療薬を最初に承認した国です。しかし、今回は猫の68.3%に未承認の製剤が投与されたということが、今後の課題になっています。
日本に侵入する可能性
キプロスでII型FIPがアウトブレイクしたことを受けて、英国獣医師会は「キプロスから英国へ輸入する猫は、渡航前にウイルスの検査を受け、陽性であったときには移動させない」ように呼びかけています。また「キプロスへ渡航する人は現地の猫に触れないようにし、帰国前に靴底やスーツケースの車輪などからウイルスを持ち込まない」ように注意喚起しています。実際に2023年10月にキプロスから英国へ輸送された猫でこのウイルスによるFIPの発症が確認されているためです。しかし、いまのところキプロス以外では大規模な二次流行は報告されていません。もし、キプロスでこのウイルスを封じ込められなかった場合には、日本にも直接的あるいは間接的に侵入した可能性は否定できません。
今後の対策
今後も同様なアウトブレイクが起きた際にはレムデシビル、モルヌピラビル、GS-441524で対応する必要があります。キプロスの事例を受けてガイドラインの見直しをしておくべきでしょう。また、地域猫の管理(避妊や去勢)や多頭飼育環境での衛生管理などもますます重要な課題となります。FIPに有効なワクチンはないといわれています。米国のみで承認されているFIPワクチン(Primucell FIP・Zoetis社)の防御効果は極めて限定的です。しかし、Primucell FIPは弱毒II型FIPVを使っているので、このワクチンがキプロスのウイルスに有効である可能性があるのではないでしょうか。そこにはふたつの課題があります。ひとつめはPrimucell FIPで使われているII型FIPVは79-1146株、キプロスはFCoV-23株と異なるため、抗原性も異なっている点です。ふたつめは抗体依存性感染増強(ADE)を起こす可能性があります。したがって、現時点ではキプロスのウイルスに対する有効なワクチンは存在しないと言わざるを得ません。今後、日本においてもII型FIPVによる感染を監視しながら、新たな出現に備えて対策を立てておく必要があります。